良かれと思って人にしたことでも、迷惑がられたり、あまり喜んでもらえなくてショックを受けたことってありませんか?
中には「こんなにしてあげたのに!!」と、イライラした経験がある人もいるんじゃないかなって思います。
この「良かれと思ってやっていること」は「余計なお世話」と紙一重。
一歩間違えると、相手に迷惑がられてしまうこともあります。
では、どこからどこまでが親切で、余計なお世話なのでしょうか??
今回はあるお悩み相談を元に「親切」と「余計なお世話」ついてを考えてみました。
「お土産を買ったのに受け取ってもらえませんでした・・。」
「この前の友達にお土産を買ってきたのですが、受け取ってもらえませんでした。私が一方的にしたことだと分かっているのですが、断られたことがショックで未だに気持ちがモヤモヤしています・・。」
以前のセッションで、クライアントさん(以後Mさん)から、このようなご相談を受けました。
相手がきっと喜ぶと思って、御朱印帳とお菓子をお土産に買ってきたのに断られてしまった、とのこと。
普通に考えれば「ありがとう!!」と素直に受け取ってもらえると思いますよね。
それを断られてしまったのだから、気持ちのやり場がなくなっても仕方がありません。
ではなぜ、このようなことが起こってしまったのでしょうか??
ちなみに私は『もしかしたらその友達、お金に対するエゴ(思い込み)があるのかもよ??』と、Mさんに伝えていました。
人は自分の価値を低く見積もっていると、受け取りベタになってしまいます。
与えるのが得意な人にエゴがあると、与えるだけ与えて、人から何かを受け取ることは遠慮がちになることがあるの。
お金に関しても同じで、人のために使うことができても何かを買ってもらうことに罪悪感を感じてしまう理由の大半は、自分の価値を低く見ているからでもあります。
自己肯定感が低いとお金やものを受け取れなくなってしまうのです。
また、別の仮定として『単純にお返しするのが面倒なのかもね』なんて話もしていました。
贈り物をする習慣がない人にとっては、プレゼントをあげたり貰ったりすることが面倒に感じてしまうことがあります。
私の彼もお祝い事や記念日に重きを置かないギフテッド(繊細人)なのですが、そういうタイプの人には贈り物をしなくても良いんじゃないかな、とも思ってます(笑)
というよりは、このようなタイプの人は単純に「普通は(常識的に考えて)ここでお土産を買うべきだよね?」といった社会の風習があまり好きではありません。
それは、その贈り物が「本音」からではなく「建前の気持ち」によるものだからなの。
要は『真心が込もっていない』と感じてしまうからなんですね。
逆に言えば、心からの贈り物であれば相手も受け入れてくれる可能性もあります。
これはあくまで可能性なので、相手の反応に見返りを求めないことがポイント。
このようなタイプの人に何かを与えたり、してあげることがいけないわけではないので、
自分がしてあげたいと心から思ったのであれば、それをしてあげても良いんじゃないかなって思います。
気持ちのやり場をつくる
今お伝えしたように、相手の状況を仮定してみると少し視野が広がると思います。
自分の心のモヤモヤやネガティブな気持ちを解消するには、こうやって相手の状況を想像することがとても大切なの。
そしてもっと言えば「今ある状況をどうしていきたいか?」って一度考えてみることも大事。
例えば今回のように、御朱印帳とお菓子がただ自分の手元にあると、またネガティブな気持ちが沸き起こってくるかもしれません。
『どうせ断られるのなら、別のものを買えばよかった。』
『こんなことになるって分かってたら、無理にお金を使うことなんてなかったのに・・。』
こんな気持ちになることもあるでしょう。
ですが私だったら、
『これは本当は私にとって必要なものだったのかも!(逆にありがとう!!)』
『友達Aちゃんではなく、必要な誰かのために買っていたのかもしれない!』
そう考えるようにしています。
すると不思議なことに、その思考が現実化して本当に自分にとって必要なものだったと気づいたり、御朱印帳やお菓子を必要としている人が現れる、といったことが起こるようになります。
こうやって、起こった出来事をポジティブな事象に変換して捉えてみると、本当にポジティブな出来事が起こるから面白い!^^
思考を現実化させるって、本来はこういうことを言うの。
捉え方って大事だなって思いませんか??
悲しいこと、苦しいことがあったとしても、それが起こる意味が必ずある。
— Natsumi (@Natsumi111777) October 22, 2018
感情があると人は中々それを受け入れることができないけれど、これには何の意味があるんだろう?って一度立ち止まってみると、その出来事が起こっている理由が分かってくるの。
無駄なことなんて、何一つないんだよ。
親切と余計なお世話の境界線とは??
自分としては好意でやったことでも、相手にとっては余計なお世話になることもある。
じゃぁ結局はどこが境界線なの??
って話なんだけど、これって結局「答えはない」んですよね><
相手はどんなタイプ?その時の相手の気持ちはどうだった?その時の状況は?自分の心境は?相手との相性はそもそも良かった??、、
問題が起こった原因を辿っていくと、問題が起こる要因は沢山上がってきます。
人間関係に悩みを抱えている人って、必ずこの多くの要因を頭の中でコネコネしながら悩みをどんどん複雑にしてしまってるの。
そもそも悩みの要因がこれだけあるのだから、ここから一つの答えを導き出すなんて不可能だということに気づかなければなりません。
人間関係の悩みや、何か問題が起こった時に考えるべきことはただ一つ。
『結局、自分はどうしたいの??』
これに尽きます。ホント、これだけでいい。
そもそも、人は周りを巻き込んで色んなことを考えてしまうから悩むのです。
HSPのように人の気持ちを感じ取ってしまう人なら、なおさら自分の気持ちに意識を向けていく必要があります。
これをやっていくと、段々と「相手にするべきこと」と「しなくても良いこと」が分かるようになってきます。
人目や世間体を気にした「建前」の好意なのか?それが「本心」なのか?が分かれば、親切と余計なお世話の境界線に悩まされなくなります^^
面倒見の良い親、家庭環境で育ってきた人は過保護になりやすい?!
面倒見の良い親の元で育ってきた人や、恵まれた家庭環境で過ごしてきた人には助け合いの習慣があります。
相手に何かをしてあげたり、困った時には助けてもらうというのが自然と出来てしまうの。
ただこのような助け合いの精神が、必ずしも世の中に受け入れられるとも限りません。
「自分のことは自分でやる」という習慣が身についている人にとって、自立は当たり前という感覚があったりするので、
人に何かしてもらうことに煩わしさを感じたり、人に任せることに引け目を感じる人がいたりもします。
そういう人にとって助け合いの精神というのは「有り難迷惑」な行為になってしまうこともあるの。
だから一番良いのが『相手に求められた時にだけ与える』ということなんじゃないかなって思います。
要は「母なる愛」を持って接するということ。
実際に子供が転んでしまった時も、初めて転んだ時は抱きしめたり頭を撫でたりして子供を慰めると思いますが、
ある程度大きくなった子供には「ホラ、あなたは強いんだから早く立ち上がりなさい!」なんて言ったりしますよね。
黙って自分で立ち上がるのを見守ることもあると思います。
実はこういうスタンスが人と接する上でもとても大事なことなの。
「無償の愛」は相手に見返りを求めることはありません。
それに、自分がアドバイスしたことに対して相手が何をしても、そこに干渉することもないの。
飴ちゃんを握らせたなら、それを相手が本当に食べるのか?他の誰かにあげるんじゃないか?なんて干渉しちゃいけない。
相手に与えたら「煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!」スタンスでいると、程よい距離感で人と関わることができるようになります。
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