人に何かをしてもらったり、何かを貰った時には必ず感謝するものだという風習が日本にはあるけれど、
それが相手にとっては善意であっても、こちらにはありがた迷惑になることもある。
そんな時に
「中途半端に感謝の気持ちを伝えるものじゃない」
「本当の気持ちを伝えて気を遣わせないのが礼儀なのでは?」
と思うのがギフテッド(アスペルガーなどの繊細人)。
「ありがとうが言えない」のではなく「ありがとうを敢えて言わない」のです。
じゃぁ、ギフテッドは全く人に感謝をしていないのか?と言えば、そういう訳ではありません。
風習による「建前の感謝」や「挨拶代わりの感謝」「おまじないの感謝」など、感謝の形が多様化していることがギフテッドの心を惑わしている理由だと思うの。
ギフテッド(繊細人)は感謝するのが苦手??
アスペルガーは感謝することができない、「ありがとう」が言えないということはよく言われています。
ですが、本当に感謝の気持ちがないのか?と言ったらそうではないし、「ありがとう」が言えないのではなく『ありがとうを敢えて言わない」のではないかと私は思うの。
そもそも、ギフテッド(繊細人)は建前で行われる事に対して価値を感じません。
自分の本音に正直に生きることしかできないから、そもそも『ありがた迷惑だなぁ』と思いながら何かを受け取ったり、感謝の気持ちを伝えることがないの。
まぁ、古いしきたりや常識をベースに考えたら、単なる「非常識人」にしかならないと思うし、毎回こういった態度でいても人間関係が上手くいかないような気もするのですが、
これも本音で生きている人(ギフテッド)同士になると、なぜか上手いこと意思疎通が成り立ってしまうんですね。笑
それは多分、そこに「常識」というものがなく、それぞれが自由でいていいという思いがあるから。
本人同士が自由であれば、与えられたものをそのまま受け取るのも自由だし、断るのも自由。
「断られたら次からあげなければ良いだけの話」と分かっているから、後腐れなくまた程よい距離感で人間関係を築くことができるのです。
サプライズが嫌いな人や、誕生日や送別会、歓迎会などで祝ってもらうのが苦手な人があなたの周りにもいませんか?
もしかしたら、このブログを読んでいるあなた自身が苦手だったりするかもしれませんね。
ギフテッド(特にHSPのように刺激に弱い人)は、ビックリすることや驚かされること、「相手の期待に答えなきゃいけない」と無意識に頭を働かせることでさえもストレスに感じるもの。
また嬉しい気持ちがあってもそれを上手く表現できなかったり、「常識的に何をするべきなのか?」を考えるのが面倒ということもあり、サプライズやプレゼントを好まない人もいます。
そういう人は中途半端な気持ちで感謝の気持ちを伝えるべきではない(中途半端に伝えるくらいならいっそのこと最初から断りを入れておいた方がマシ)という思いからも、
敢えて感謝の気持ちを伝えず素直な自分の思いを伝えることで、結果的に相手を悲しませてしまったり空気が読めないような態度をとってしまうことがあるの。
本当の感謝の意味
「嬉しい」と「感謝」はコインの裏表のようなもの。
このようなことが「自分好き」な女ほど、愛されるという本に書かれてあったのですが、これを読んで「感謝」という気持ちの謎が解けました。
本来の感謝の気持ちとは、まさに嬉しかった出来事に対して湧いてくる感情のこと。
ですが日本には古くからのしきたりや常識というものがあって「いただいたもの、誰かにしてもらったことには必ず感謝するものだ」といった教えが広まっているせいか
「嬉しくないもの」「ありがた迷惑なもの」に対しても感謝するもの、というズレた考えまで浸透するようになりました。
また(自己啓発的な風習で)メッセージや手紙にやたら感謝という言葉を並べてみたり、自己暗示やおまじないとして感謝という言葉を使うようにもなりました。
このように「感謝」という言葉が多様化されているからこそ、感謝の在り方に疑問を抱く人が増えているんじゃないかなって思います。
ちなみに「嬉しい」と「感謝」は表裏一体だという話をしましたが、
「嬉しい気持ちになれば自然と感謝の気持ちが湧いてくる」のであれば、「感謝しようと敢えて何かをする必要はない」ということ。
(欲しくないものでも)人から貰ったから、とお返しする必要もないし、相手が譲ってくれると言うものでも自分が欲しくなければ断ったっていい。
その代わり、自分を喜ばせるものに目を向けたり、身の回りの物や身近な人、何より自分自身を大切にして嬉しい気持ちで心をいっぱいにすれば感謝の気持ちはいくらでも湧いてくる。
ギフテッドにとっては、これが一番自然な感謝の仕方なんじゃないかなって思います。
「建前の感謝」の代わりに「適材適所」という考え方を取り入れる
2:8の法則(パレートの法則)をご存知でしょうか?
働きアリの中から2割の働かないアリを除いても、また全体の2割のアリが働かなくなるということからも働きアリの法則と呼ばれていたりしますが、
世の中の全てはこの2:8の法則から成り立っているので、適材適所という考え方を頭の中に置いておけば無理して気遣いする必要がないことに気づけるかもしれません。
例えば親戚の集まりでお茶汲みをするというのも、本来であれば下っ端がやるとか、出迎えた人がやるべきものという考え方がありますが、
「お茶は欲しい人が自由に飲めばいい」というスタンスでテーブルの上にポットと急須と湯飲みを置いておくと、
お茶を汲むのが好きな人やお茶汲みが向いている人が積極的に動くようになるんです。
これは何に置き換えて考えてみても、必ず向いている人や好きな人が積極的に動いたり、人に任されたりすることで2:8の法則通りの結果が出るようになっています。
逆に言えば、自分が無理して役割を担えば、それが好きな人の仕事を奪うことにも成り得るということ。
だから周りの空気が読めないことに対して罪悪感を感じたり、自分が嫌になる必要なんてないんです^^
ちなみに私の場合、HSPゆえに周りの空気に飲まれすぎて、この前の葬儀では良い子ちゃんモード全開になりました。笑
普通は若い人がお茶くみするものだとか、お客様には礼儀正しく接しなくちゃ的な空気を読みすぎて思考停止状態になってたわ。
— Natsumi🌟繊細体質を才能に変える人 (@Giftproducer723) 2019年1月22日
これが常識とかしきたりの恐ろしさよ🙄
東京に戻ってきて、やっといつもの感覚に戻ってきた。。
HSPはこれに気づいて、即座にその環境を離脱するべきだと改めて痛感。
HSPは自分でも知らない間に周りに合わせてしまうというのが難点なのですが、親戚・家族と一緒の時間を過ごしてみて、改めて距離を取る必要があることを実感。笑
HSPって、いい子スイッチがあるみたい。
— Natsumi🌟繊細体質を才能に変える人 (@Giftproducer723) 2019年1月22日
しかもそれは、自動的に作動して自分では止められないタイプ。
社会に出たり家族の前だと勝手に押されてONになるわりに、自分でOFFできないから家に帰ってから切れるのを待つことになる。
幸せになるためには、スイッチが押されない環境に行くしかない。
じゃぁ、いい子スイッチが押されない環境はどこか?って話になるけど、
— Natsumi🌟繊細体質を才能に変える人 (@Giftproducer723) 2019年1月22日
自分を認めてくれる人、お互いの価値観が分かち合える人がいる場所や、自分の考えが自由に主張できる所なら滅多に押されない。
要は自分らしく伸び伸びと過ごせる所ね。
今いる場所が不可能なら、そこを飛び出したっていい。
ちなみにこんなつぶやきもしてみたんだけど、賛否両論で色んなコメントをいただきました。
恐ろしいのは、この現状を精神科医が認めているということ。
— Natsumi🌟繊細体質を才能に変える人 (@Giftproducer723) 2019年1月23日
やる気が起こらない、気持ちが沈む、ネガティブな事ばかり考えてしまう、、
鬱の症状が当てはまれば鬱と診断される世の中なの。
写真は #松本康男 さんのFacebookタイムラインより pic.twitter.com/PRK88ckhgG
「精神病は存在しない」「病院ビジネスによって薬が患者を増やした」そんな話が色んなところで知られるようになってきたけれど、
看護学校時代に精神病院に実習に行った時も「なんでこんなに普通の人たちを隔離してしまうのだろう」
「こんなに沢山の薬を飲ませているからおかしくなっちゃうんじゃない??」って学生ながらに思っていました。
これからも発達障害とか精神障害とか、〜病みたいな考え方じゃなくて「ギフテッド(繊細な人、繊細さを強みにできる人)」として、
もっと多くの人に個性を引き出す方法を伝えていきたいなって思う。
Hさんからはこんな素敵なメッセージをいただきました⭐️⭐️
とても励みになります(;口;)ありがとうございました❤️
【オススメの本】
これ読んで衝撃だった!!
自分を好きになるってこういうことなんだって再確認できます^^